英語学習は早いほど良いのか

子供は習うより慣れている?

英語はできるだけ早くから学ばせた方がいいという考えを持つ人は多いでしょう。英語に限らず、外国語習得にはあらゆる側面があり多くの要素が含まれています。そんな言語習得に関する問題点をあぶりだし、何が重要であるかが細かく解説されています。

また最近、子供に早くから英語を学ばせるのが良いという風潮が広まってきています。この考えはどこから来たのか、本当に日本語もままならない子供の頃から英語を学ばせるのは良いことなのか。このような疑問を、研究をもとに分析していきます。外国語学習をする上で大切なことがわかります。

はじめに

アメリカに駐在員としてしばらく滞在していた友人が言った。「僕は何年 いても日本人英語丸出し。でも、小学生の息子は一年もたったころには、まったくネイティブのように話してましたよ。」

筆者の弟家族も台湾に駐在していたことがある。日本を離れた当時、姪はまだ日本語の単語が10語言えるか言えないか程度であった。弟が台湾に駐在して一年ほどして、「中国語は本当に大変。だけど娘は発音も正確で、中国人の先生ともまったく問題なく話すようになった」と目を細めていたのを思い出す。

子どもの外国語習得に関する武勇談は、あちこちに転がっている。難しい発音もややこしい文法もものともせず、やすやすと外国語をマスターしてしまったというエピソードをいたるところで耳にする。英語を習うには早ければ早いにこしたことがないと、ネイティブ・スピーカーの先生から学べる英会話スクールに子どもを通わせることにしたお父さん、お母さんも読者の中にはいるに違いない。

日本では、小学校での英語教育が人々の大きな関心事の一つだ。世界各国では、公教育における英語教育の開始年齢はどんどん下がりつつある。東アジアでは、子どもの長期留学はもはや一部の特権階級の専売特許ではなくなりつつある。韓国では、政府の「慎重に」との助言にもかかわらず、小学生の海外留学の人気はなかなか衰えず、社会問題にまで発展している。中国では、「妊娠したら、すぐに英会話の勉強を始めよう」という英語教材の広告を見たこともある。ここで英語を勉強するのは、母親なのだろうか、それとも胎児なのだろうか。

韓国、中国、台湾などでは、日本より一足早く小学校で英語教育を始め読者と一緒にたどっていくことをめざす。知識の断片なら、昨今、インターネットの検索でいくらでも収集できる。しかし、科学的思考の道筋をたどることは、断片的な情報を収集するのとは違う思考力を必要とする。問題の探究は試行錯誤の連続であり、その過程を理解することが問題の本質を理解する第一歩である。

早期外国語学習への関心は、ある一定の年齢までに言語習得を行っておかないといけないという考えと密接に関係している。これは「言語習得の臨界期仮説」などとも呼ばれる。

第1章では、臨界期という考えはそもそもどこから来たのか、そういった期間は本当にあるのかを探っていく。第2章では、母語(第一言語)の習得と年齢との関係を考える。母語習得と年齢との関係を知る手がかりの一つは、さまざまな理由で、不幸にも言語習得の機会を奪われた子どもたちの事例である。

第3章では、第二言語の習得について考えていく。ここでいう第二言語習得とは、移民の言語習得に代表されるように、習得対象となる言語(第二言語)が主に使用されている環境の中で、その言語を学ぶ場合である。多くの場合、大量のインプット(言語刺激)が得られ、その言語をマスターすることが生活に直結している。

臨界期の存在を証明するデータとして、習得開始年齢が遅くなればなるほど習得の度合いが低くなるという関係がしばしば提示される。しかし、その右下がりの線の裏には、重要な因子がいくつも隠されている。第4章では、従来のアプローチの問題点と研究者のジレンマをつきつめていく。

第5章では一転して、臨界期を過ぎてから第二言語学習を始めたにもかかわらず、ネイティブ・スピーカーなみの熟達度を身につけたと考えられる達人たちの事例を検証する。彼らの言語学習体験から、私たちは何を学べるのだろうか。

第6章では、いよいよ日本で英語を学ぶような場合(外国語環境)での、言語習得と年齢との関係をみていく。外国語環境では、第二言語環境のように大量のインプットを得られるわけではなく、ネイティブ・スピーカーに囲まれて生活しているわけでもない。このような状況では、どのような要素が言語習得の鍵になるだろうか。
最後に第7章では、これまでの結果を総合して、日本での早期英語教育について考える。東アジア諸国が直面する課題なども参考にしながら、日本での英語教育の条件を考えていきたい。

では、言語習得と年齢の関係を探る旅を始めることにしよう。

バトラー 後藤裕子 (著)
出版社: 岩波書店 (2015/8/21)、出典:出版社HP

目次

はじめに

第1章 逃がしたらもう終わり?
―臨界期仮説を考える
1 臨界期仮説のはじまり
2 臨界期とは何を意味するのか
3 言語能力とは何か

第2章 母語の習得と年齢
―ことばを学ぶ機会を奪われた子どもたち
1 赤ちゃんの言語習得
2 正常に言語習得を開始できなかった子どもたち
3 手話の発達と習得開始年齢

第3章 第二言語習得にタイムリミットはあるか
1 子どもの耳は本当に優れているのか
2 大人は第二言語の文法をマスターできない?
3 母語と第二言語の語彙習得はトレードオフの関係?
4 臨界期は複数存在する?
5 脳科学は救世主となるか

第4章 習得年齢による右下がりの線
―先行研究の落とし穴
1 年齢と習得期間のジレンマ
2 言語能力をどう測定するか
3 バイリンガル、母語話者のとらえ方

第5章 第二言語学習のサクセス・ストーリー
1 大人から始めてもネイティブなみに話せるようになるか
2 母語話者と非母語話者の境界線
3 サクセス・ストーリーに学ぶ秘訣
4 異なる結果の裏にあるメカニズム

第6章 外国語学習における年齢の問題
1 「早いほど良い」という神話
2 学習開始時期か授業時間数か
3 読み書きの習得
4 動機づけと不安

第7章 早期英語教育を考える
1早期開始より量と質
2 読み書きの導入
3 誰が指導するのか
4 英語分断社会

おわりに
参考文献

バトラー 後藤裕子 (著)
出版社: 岩波書店 (2015/8/21)、出典:出版社HP