外国語学習の科学ー第二言語習得論とは何か

外国語を身につける、とは?

多くの日本人は、中学、高校、大学としかもその間かなりの時間と労力を費やして英語を学 びますが、まともに使えるようになるケースはまれです。その一方で、英語圏に留学することもなしに、ペラペラになる人もいます。

外国語を身につける、ということがどういうことなのか、あまりわからずに、学 校の先生に言われるがまま、またテストの点をよくするためといった理由で様々な学習方法を とるようになります。さらに学校の勉強では使えるようにならないので、それ以外に自分で意」 欲的に勉強したり、会話学校に通ったり、ということをする人もいます。しかし、このように してでき上がった学習法は、偶然の産物と言ってもよいようなものでしょう。それがいったい、 効果的なものなのかどうなのか、間違ったことをしているのか、もっと効果的な方法はあるの」 か、といったことについて、確信を持っている人も少なく、また確信のある人も単なる思い込みであるケースもあります。効果的な外国語学習法というのはあるのでしょうか? また、あるとすれば、それはどのようなものでしょうか?

外国語習得の研究・科学

そのような疑問から研究者たちが、「外国語学習」という現象そのものを対象とした研究分野が発達してきました。
「外国語学習といえば、言語学や心理学が関連分野といえますが、どちらにおいても外国語の一 学習についてそれほど研究が行われているわけではなく、十分にそのメカニズムの解明はすすんでいません。さらにどちらの分野にとっても、メカニズムの解明そのものが目標であって、 どうやったら効率よく外国語が習得できるか、という実際的な問題の解明は二次的なものとされます。

これが、「第二言語習得(Second Language Acquisition = S LA)」という新たな研究分野です。この分野は、もちろん第二言語習得メカニズムの解明と いう理論的な目的を持っていますが、と同時にどのような習得方法が効果的か、という問題の解明も中心的課題となっています。

言語習得を科学的には可能か?

100人いれば100通りある英語習得法を、できるだけ統一的見解をもってくることもこの研究からの知見となります。本書での狙いはそこで、まず、第1章では、第二言語習得に関する母語の役割 を検討します。次に第2章で、なぜ子どもはふつう第二言語習得に成功するのに、大人は多く の場合失敗するのか、といういわゆる臨界期の問題をとりあげます。第3章では、外国語学習 にどんな学習者が成功するのか、特に適性と動機づけの要因についてその影響を論じます。第 4章では、第二言語習得のメカニズムについて、これまでにわかっていることを紹介します。 第5章では、効果的な教授法・学習法の問題を論じ、第6章では、具体的な学習法のコツを紹介します。

世間には、毎日10分のリスニングだけで喋れるようになるや様々な英語関連商品の宣伝文句が溢れておりし、何を信じるべきかわからないと言ったこともおこるかもしれませんが、この本を読み終える頃には、外国語を学ぶという非常にシンプルなことを根拠にもって自身の中で解釈できるため、でたらめな宣伝に圧倒されることはなく、より効果的な外国語学習につながるというのが本書を通して分かります。

プロローグ

外国語を身につける、とは
多くの日本人は、中学、高校、大学としかもその間かなりの時間と労力を費やして英語を学びますが、まともに使えるようになるケースはまれです。その一方で、英語圏に留学することもなしに、ペラペラになる人もいます。一家で海外赴任をした場合、英語力ゼロで行った子どもが大学卒の母親を一年くらいで追い越してしまう、ということはよくあります。いったいこの差はどこから生まれてくるのでしょう。

私たちは、外国語を身につける、ということがどういうことなのか、あまりわからずに、学校の先生に言われるがまま、またテストの点をよくするためといった理由で様々な学習方法をとるようになります。さらに学校の勉強では使えるようにならないので、それ以外に自分で意欲的に勉強したり、会話学校に通ったり、ということをする人もいます。しかし、このようにしてでき上がった学習法は、偶然の産物と言ってもよいようなものでしょう。それがいったい、効果的なものなのかどうなのか、間違ったことをしているのか、もっと効果的な方法はあるのか、といったことについて、確信を持っている人も少なく、また確信のある人も単なる思い込みであるケースもあります。効果的な外国語学習法というのはあるのでしょうか?また、あるとすれば、それはどのようなものでしょうか?

筆者はアメリカの大学で応用言語学を教えていますが、アメリカ人は外国語があまりできないといわれています。英語がすでに国際語となっているため、一般のアメリカ人が外国語を必要とする場面はあまりありません。それがアメリカ人の外国語ができない大きな理由となっているのは確かでしょう。二〇〇一年の九・一一同時多発テロを未然に防げなかったのは、テロリストたちが使っていた言語(アラビア語など)を解読できる人材が不足していたためだ、という反省から、高い外国語能力を持った人材を育成するにはどうすればよいかを明らかにしようとする研究に多大な補助金が出るようになりました。しかし、実情はあまり変わっていないようで、つい最近のニュースでも国務省(日本の外務省にあたる)でアラビア語ができる人は数人しかいないということです。

なぜ、外国語を学習することはそれほど難しいのでしょうか。アメリカでは一九九〇年代、クリントン政権の時代に乳幼児教育、特に赤ちゃんの時の育て方の重要性について意識が高まり、その分野の専門家が集まって、ホワイトハウス主催のものも含め、乳幼児教育に関するシンポジウムなどが多数行われました。最先端の科学を応用し、いかに乳幼児教育をすべきかについて熱心な議論が重ねられていました。「外国語学習」の向上については、それほどの熱意はないようですが、これについても、その専門家による科学的アプローチが期待されています。

外国語学習といえば、言語学や心理学が関連分野といえますが、どちらにおいても外国語の学習についてそれほど研究が行われているわけではなく、十分にそのメカニズムの解明はすすんでいません。さらにどちらの分野にとっても、メカニズムの解明そのものが目標であって、どうやったら効率よく外国語が習得できるか、という実際的な問題の解明は二次的なものとされます。このような背景から、「外国語学習」という現象そのものを対象とした学問分野が一九六〇年代ごろから発達してきました。これが、「第二言語習得(Second Language Acquisition = S LA)」という新たな研究分野です。この分野は、もちろん第二言語習得メカニズムの解明という理論的な目的を持っていますが、と同時にどのような習得方法が効果的か、という問題の解明も中心的課題となっています。

第一言語習得と第二言語習得の違い
子どもの母語習得(第一言語習得)と大人の外国語習得(第二言語習得)の大きな違いは、何でしょうか。母語習得に失敗した、という話はあまり聞いたことがありません。一方、外国語の習得は、母語話者に近いレベルに達する人はほとんどいません。また、かなりできるようになる人もいれば、ほとんどしゃべれないまま終わる人も多いです。当たり前と言えば当たり前ですが、ここがこの二つの根本的な違いです。第一言語の方は、みな同様に成功する、という「均質性」があるのに対し、第二言語習得の方は、結果は様々、という「多様性」があるわけです。なぜこのような大きな違いがあるのでしょうか。

外国語は母語に比べて使う機会が少ないからでしょうか。しかし、何十年もアメリカに住んで、アメリカ社会に溶け込んで英語を話して生活しているのに、ネイティブのようにな移民はたくさんいます。第二言語習得研究の世界で有名なウェス(仮名)という日本人がいですが、彼はハワイに移住した芸術家で、アメリカ社会にすっかりとけ込んでいて、ア人との意思疎通は非常にうまいのに、英語の文法はかなりくずれたままでした。いったいなぜなのでしょうか。第二言語習得研究とは、このような、第二言語学習に関する様々な問題を科学的に解明することをめざす学問分野なのです。

第二言語習得というのは非常に複雑な現象です。そして、それを理解するためには、様々な観点から接近することが必要です。まず、習得する対象は「言語」です。この複雑なシステムの習得を対象とするため、言語学の知見が役に立ちます。また、「学習」という認知活動を扱うので、心理学や教育学の知見も利用する必要があります。言語と社会・文化は切っても切れない関係にあるので、社会学、文化人類学などの示唆も重要です。また言語学習や言語処理はいうまでもなく脳が司っているので、脳科学を使ったアプローチも特に最近は増えています。要するに、言語の習得・使用という認知活動を学際的に研究するのが「第二言語習得」という学問分野なのです。この
中には、「第二言語習得」の研究者として研究をする人もいれば、心理学者や言語学者として、第二言語の問題に関わる研究者もいます。

本書の目的は、第二言語習得研究の成果を一般向けにわかりやすく伝えることです。扱っている現象が複雑なので、まだわかっていないことも少なくありませんが、これまでの研究の結果、様々なことが明らかになっており、どんな外国語学習法がより効果的か、またどんな人が 外国語学習に成功するか、といった問題に対しても、ある程度の答えが出るところまできているのです。それを社会に還元することは重要なことだと思います。

第二言語習得に特化した学術雑誌も生まれています。筆者も編集委員をしているStudies in Second Language Acquisition『第二言語習得研究』というケンブリッジ大学出版会の雑誌が代表的なものです。まだ三〇年程度の歴史ですが、二〇〇六年には、学術雑誌の影響力を測るインパクトファクターという指標で、言語学分野の四七ある雑誌の中で二位となっています。

科学的アプローチは可能か
筆者は大学を卒業して、すぐに公立高校の英語教員になりました。そこでどういう教え方をしたかというと、結局自分が中学、高校で教わったようなやり方でした。まず、誰かにあてて、教科書の一段落を音読させる。次に、先生が読んで、生徒がそのあとについて全員で音読。それが終わったら、生徒にあてて、一文ずつ訳させる。まあたいてい、どこか間違っているので、正しい訳を教えて、それに関連した重要(と思われる)事項を黒板を使って説明する。このようなプロセスを繰り返して、教科書を終わらせていくわけです。このような文法訳読方式は現在でもかなり使われています。

この方法が効果的である、という証拠はどこにもありません。これでどのような力がつくのでしょうか。なぜ、生徒が本文の内容を理解する前に音読するのでしょう。音読を内容理解のあとにしたらどうでしょう。文法説明をするかわりに、たとえば同じ段落を聞かせて、その内容理解をチェックしたら、どうなるでしょうか。これらは、検証可能な問題であり、また検証されるべき問題です。これが、第二言語習得研究の考え方です。つまり、経験主義にとどまらず、実証的・科学的に、第二言語学習法、教育法のプロセス、メカニズムを解明するのです。音読の効果についてもいくつか研究はありますし、文法訳読方式と会話中心の教え方の効果の違いについても研究が行われてい
ます。

科学的なアプローチが成功している例としてスポーツ科学をとりあげてみましょう。かつては経験則に頼ってスポーツトレーニングが行われていましたが、いまではスポーツ科学がどんどん発展して、それにもとづいて様々な技術革新がなされています。

日本でも、スポーツ科学には注目が集まっています。北京五輪直前にはスピード社の高速水着レーザーレーサーが大きな話題になりましたが、これもスポーツ科学の成果といっていいで しょう。水の抵抗を最小限にするため、航空力学の専門家まで開発チームにはいっていたということです。

また、アテネ五輪で日本が金メダルを連発した時、IOCのロゲ会長は、「日本は一五個の 金など計三四個のメダルを獲得、格段の躍進を遂げた」と評価し(最終的には金一六、計三七 個)、その躍進の理由として「訪日した際に訪れた国立スポーツ科学センターには、最新の技術の粋を凝らしてあり、これが競技力向上に貢献しているのだと思う」と述べたそうです。

国益ということになれば、日本のような貿易立国の国では、スポーツで金メダルをとることよりも外国語学習を成功させることの方が重要なはずです。たとえば、日本の中小企業は、世界最先端の技術を持っているところが少なくないのですが、外国にものを売るためには、「外国語」が非常に大きな壁になっています。このように考えると「国立外国語学習科学センター」といったものがあってもよさそうですが、いまのところありません。

多くの実証的研究にもとづいて、第二言語習得研究という分野では、第二言語学習の原理がある程度明らかになってきています。そういう原理をふまえた上で、第二言語教育・学習方法というものを今後は考え、実践していかなければなりません。本書では、第二言語習得の研究成果をわかりやすく紹介します。

白井 恭弘 (著)
出版社: 岩波書店 (2008/9/19)、出典:出版社HP

本書のねらい

本書では、第二言語習得を二つの観点から考察していきます。ひとつは、学習者の立場から。現在外国語を学習中の人、昔やった外国語学習を振り返ってみたい人、また、今後新たに外国語学習を始めようという人には学習者の観点から本書を読んでいただければと思います。おそらく英語学習者が圧倒的に多いと思いますが、その他の外国語、最近人気の韓国語や中国語などの学習者にも、興味の持てる内容だと思います。

もうひとつは教育者としての観点です。外国語を教えている先生方、将来外国語教育の方面にすすみたいという人には、教師の立場から、本書に興味を持っていただけると思います。外国語というのは、この場合、日本人にとっての外国語(英語、フランス語、中国語など)だけでなく、外国人に日本語を教える日本語教育も、もちろん視野にはいっています。また、やや教師とは観点は異なりますが、わが子に外国語ができるようになってほしいと願う父母にとっても役に立つでしょう。

また、本書は背景知識のない一般読者を対象に書かれていますが、すでにある程度第二言語習得研究について知識のある方にも、全体像をとらえなおす機会になるでしょう。四〇年の間に、膨大な研究が積み重ねられており、いったい何がこれまでにわかっているのか、よく見えなくなっている側面もあるからです。また、最新の研究も紹介していますので、その点でも有益だと思います。

本書の構成

本書の構成は以下のようなものです。まず、第1章では、第二言語習得に関する母語の役割を検討します。次に第2章で、なぜ子どもはふつう第二言語習得に成功するのに、大人は多くの場合失敗するのか、といういわゆる臨界期の問題をとりあげます。第3章では、外国語学習にどんな学習者が成功するのか、特に適性と動機づけの要因についてその影響を論じます。第4章では、第二言語習得のメカニズムについて、これまでにわかっていることを紹介します。第5章では、効果的な教授法・学習法の問題を論じ、第6章では、具体的な学習法のコツを紹介します。世間には、毎日一〇分の勉強でペラペラになるとか、英語は勉強してはいけない、とか様々な宣伝文句が氾濫し、何を信じてよいのかわかりません。驚くべき話ですが、おとなりの韓国では、英語の発音ができるようにと、子どもの舌に手術をすることがはやったことがあったそうです。本書を読み終えたころには、外国語を学習するという非常に身近な現象について、これまでに何がわかっているか全体像がつかめ、より客観的、科学的な見方ができるようになるでしょう。そうすれば、大げさな宣伝文句にまどわされることもなくなり、より効果的な外国語学習・教育につながると確信しています。

本書で紹介する外国語学習の原理は、基本的にはあらゆる言語の学習にあてはまるものです。第二言語習得研究のめざすところは、第二言語全般の習得原理を明らかにすることだからです。特に最近は、多くの研究が英語以外の習得に関しても行われています。試しに、学術誌Studies in Second Language Acquisition の二〇〇六-二〇〇七年の二年間に出た論文を調べてみたところ、習得対象の言語は、英語一一本、日本語八本、スペイン語六本、フランス語二本、韓国語、広東語、ポルトガル語一本と、多岐にわたっています。しかしながら、実際に過去四〇年に積み重ねられてきた研究の大多数が英語の習得について行われていますし、日本で外国語を
学習している人のほとんどは英語が対象言語なので、この本であげる例は、だいたいが英語学習に関するものになっています。それから、日本語学習の例も、わかりやすいので、いくつかはいっています。

なお、用語についてですが、本書では、第一、第二言語ともに、「言語習得」ということばを使います。日本語では、第一言語には言語獲得、第二言語には言語習得という用語が使われることが多いのですが、実際もとの英語の用語は language acquisition で、同じなのです。「獲得」というのは「苦労して手に入れる」、という意味があるので、どちらかといえば、逆になるべきでしょう。ですから、本書では両方とも「習得」で統一します。

白井 恭弘 (著)
出版社: 岩波書店 (2008/9/19)、出典:出版社HP

目次

プロローグ
第1章 母語を基礎に外国語は習得される
第2章 なぜ子どもはことばが習得できるのか
―「臨界期仮説」を考える
第3章 どんな学習者が外国語学習に成功するか
―個人差と動機づけの問題
第4章 外国語学習のメカニズム
―言語はルールでは割り切れない
第5章 外国語を身につけるために
—第二言語習得論の成果をどう生かすか
第6章 効果的な外国語学習法
あとがき
用語索引
参考文献

白井 恭弘 (著)
出版社: 岩波書店 (2008/9/19)、出典:出版社HP