TOEIC満点など使い物にならない?
成功体験や挫折など著者の英語人生について詳しく書かれています。英語の本質がどういうものであるかが分かるため、本書から学べることは多いかと思います。本気で英語と向き合うきっかけのひとつとなるでしょう。
目次
はじめに
第1章 アメリカ研究と英語教育
僕は「純ジャパ」/英語力があるとはどういうことか/戦後英語教育のはじまり/変わりゆく英語学習の目的/日本の近代化と英語教育/英語修得も「道」 だ/迷走する英語教育/知の細分化が招いたのは/英語バカのすすめ
第2章 イマージョンの時代1 中学・高校時代
空手少年、英語と出会う/英語バカ人生の始まり/英語少年、外国人に話しか ける/最初の師と挑む暗唱大会/英語三昧ではじまった高校時代/ジャッキーさんとの出会い/言語と文化の違いを痛感する/身体感覚がものを言う英語学習/いざ、サンディエゴ市長杯へ/アメリカから来た友人/大学受験へ
第3章 イマージョンの時代2 大学入学~大学2年
新生活/英語漬けの大学生活/「スピーチ日本一」、新たな目標は定まった/もう一人のロールモデル/ディベートとの出会い/勝つスピーチ/オックスブリッジ語を獲得したい!/スピーチ日本一への道は?
第4章 オムニボアの時代1 大学2年~大学卒業
てんやわんやのアメリカ行/にわか添乗員の奮闘/ESSに追われる/新しい 学びの場所/ECC講師になる/鞍馬寺での日々/再び学びの場へ
第5章 オムニボアの時代2 研究生~大学院修了
小浪先生の下で/英語講師人生の始まり/人気講師になる/アメリカ研究へ/ ゼミでの出会い/オムニボアへ、ゼミでの日々
第6章 リストラの時代 大学院修了以後
大学院を退学する/プロの予備校講師になる/言葉と身体/日本の身体を表現する/生まれ故郷へ/ふたたび英語教師に/これからの英語教育/今こそ英文 法を/英語バカ、再び
おわりに
はじめに
僕はいま、兵庫県三木市に本部を置く関西国際大学で英語を教えています。着任してすぐ、 僕は学生たちに、「今のスコアは問わない。必ずTOEICのスコアを倍にする。満点を取 らせる」と宣言しました。
TOEICを主催する国際ビジネスコミュニケーション協会(IIBC)のデータによると、難関大も含めた日本の大学のTOEIC IPテスト(団体特別受験制度)の平均スコアは454点だそうです。300点以下ではいわゆる団子状態になって差が出ないため、多くの大学が、より簡単で短いTOEIC Bridge Test を利用しています。
これは、現行の大学の英語教育がまったく機能していないことを物語っています。実際、大学用のTOEICの教科書は、ほとんどすべてが目標スコアを500-600点に置いており、それ以上のレベルの教科書は、全社合わせて一冊しかありません。要するに、作っても売れないのです。ある出版社の話では、「卒業までに500点を取らせることができたら大成功」というのが、英語を担当する大学教員の本音だということです。
ですから、冒頭の僕の言葉を信じる人は、もちろん誰もいませんでした。しかし、そのわずか一年後、すでに800点台や900点台が続出しています。高校時代は野球やサッカーに全力投球し、英語はゼロからスタートした学生も多くいます。 「どうやって学生たちの英語力を伸ばしたのですか」と、よくたずねられます。僕は特別なことは何もしていません。僕が学生たちに言い続けたのはただ一つ、「英語バカになれ」と いうことでした。「バカとはけしからん」とおっしゃるかもしれません。しかし、僕の学生たちは、僕と一緒に汗まみれになり、泥まみれになりながら、英語バカになって英語と格闘するうちに、ある者はアメリカの歴史に、ある者はアジアの近代化問題に、そしてある者は身体論にと、知らないうちに英語を、学ぶことから、英語々で、学ぶことへと関心を広げています。TOEICのスコアアップは、その道中についてきた「おまけ」にすぎません。
そして、実は僕自身が、誰よりも英語バカでした。ここに記すのは、僕の自伝的英語史であり、英語を習得したいと願うみなさんへの「英語バカのすすめ」です。
最後に、僕の英語人生は、父横山享仁、母美佐子がいなければあり得ませんでした。今はなき最愛の両親に、この本を捧げます。
第1章 アメリカ研究と英語教育
●僕は「純ジャパ」
僕の郷里は兵庫県三木市で、六甲山を越えた神戸市の北隣の小さな町です。僕が生まれ育 ったのは、その小さな町のさらに小さな村です。 「そんな村で、僕が英語と出会ったのは中学一年生のときです。以来四二年、実は僕には留 学経験はありません。それどころか、僕の海外経験は、五五年の人生において三〇日あまり
一九歳(大学二年生)の夏にアメリカでホームステイをした三週間、そして三七歳のときに空手指導で回ったフランス七日、メキシコ五日、帰路に立ち寄ったアメリカ二日です(僕は空手道師範でもあります)。一九歳のときのホームステイは、自分自身の語学研修ではなく、中高生数名を引率する業務として参加しました。はじめての海外、はじめてのアメリカで、出入国管理からさまざまな交渉、通訳まで、たった一人ですべてをこなしましたが、まったく英語で困るということはありませんでした。