外国語学習における聴覚,視覚,触覚の関係は?
本書は、音楽や音響学と言語処理との関連を考察しています。心理学や教育学の知見を踏まえながら、学習年齢などに対応した外国語教育を提唱します。専門的な内容が多いため、音声研究をしようと考えている人におすすめです。
まえがき
外国語は,視覚をとおして文字から学び,読解技術を鍛練することが知識への足掛りであると信じられ、分厚い原書に囲まれている姿こそが、教養人の証徴であるがごとく夢見られてきた。外国語学習者は、技巧的な文法問題に記憶のパズルを交差させ,単語テストに体力までも消耗し,試験結果に一喜一憂しながら,異国のことばと向き合ってきた。
この深く執着した訳読の慣習によって,現代社会の日本人は,臆することなく堂々と憧れた世界に発信し、国の発展にどれほどの人が貢献してきたのであろうか。
人間は生きていく術のたずきとして,音からことばを紡ぎ出し,古来より音声で文化を伝承し、声明を唱え、歌をうたい、祈りを捧げ、安寧を願い求め続けてきた。
ことばの根幹を成す音声認知,聞いて話すことが「会話なんて学問足らず、軽々しい」と邪揄され、外国語から「聞く,話す」ことを切り離し、娯楽と趣味の領域へと追いやられてきた。小さな島国で続く尊大な精神風土である。
しかし,外国語は耳と口から学ぶことによって浸透していき,言語の中に直接自分を存在させ、主体的に行動を喚起することができる。
現代人は多感覚処理に多忙を極め,無表情にスマートフォンの画面を見つめながら指を滑らせ,イヤフォンで音声を聴いている。手のひらサイズの機械が,人間の感覚器官を支配して操っている。この小さな物体から溢れ出る情報は,いったい人間にとって、どのような信号を発しているのであろうか。
認知科学の分野では、多感覚処理,とりわけ聴覚,視覚,触覚の関係が注目されている。本書の目的は,人間の情報伝達における感覚器官の働きと言語処理,言語獲得との関連性を一望することである。
前著『外国語はどこに記憶されるのか』では,言語知識と記憶のかかわりから,外国語学習への知見を示したが,本書では、言語処理の中枢に入力(聴覚,視覚,触覚)と出力(調音)するシステムに着目をし、一連の情報処理過程を考察する。その上で,外国語音声学習への指針を提案してみたい。聴覚訓練,発音練習については、科学的,臨床的な根拠を持つ、言語病理学理論に基づいて検討を加えている。
本書の基礎となっている学術研究は、文部科学省科学研究費補助金の援助を受けたものである。その成果をまとめた研究者は2016年度ひつじ書房より刊行の拙書Foreign Language Learning without Vision: Sound Perception, Speech Production, and Brailleであるが,本書では視覚障害者の認知システムや,学習指導への提案は割愛させていただいた。
キチキチキチと鋭い声が,時計塔から響いてくる。見上げると,小さな無数のコウモリが,宵闇の中,翼手を広げ,触れ合うことなく忙しそうに飛び回っている。花びら餅のように透けた 大きな耳が,かれらの発する信号を受信している。
人間にとっての聴覚と調音の意味を、感覚運動器官の働きを紐解きながら検証していくこととする。
2015年10月
中森誉之
目次
まえがき
第1章 音の知覚
はじめに
1. 音とはなにか
1.1. 音の高さ一振動と周波数一
1.2. 音の大きさと音色
2. 音楽の音
2.1. 音楽の音の構成要素
2.1.1. メロディ(旋律)
2.1.2. トーン(楽音)
2.1.3. リズム(律動)
2.2. 音への反応と生得性
2.2.1. 遺伝子からの音の贈り物
2.2.2. 赤ちゃんと音
2.2.3. 絶対音感
2.3. 音と感情
2.4. 音楽と言語
2.4.1. リズムと韻律
2.4.2. 症例研究から見た脳機能分化
2.4.3. 赤ちゃんの音楽的言語習得
2.4.4. メロディとリズムの脳内基盤
2.4.5.音楽と言語の接点
3. 言語の音
3.1. 音声学と音韻論
3.2. 聴覚システム
3.2.1. 聴覚器官の特性
3.2.2. 人間の聴覚システムを機械で再現できるのか
3.2.3. カテゴリー知覚
3.2.4. 個人差を包含する解析器官
3.2.5.スペクトログラフとスペクトログラム
3.3. 聴覚能力の分類
3.4. 外国語の聴解
3.4.1.音素レベルの識別
3.4.2. 音声連続の知覚
3.4.3. 日本語の音節構造モーラの転移
4. 聴覚システムの柔軟性
4.1. 速度や音環境への適応
4.2. ことばと声への接触
4.3. 「聞こえる」という感覚
第2章 音声の表出一調音コントロールー
はじめに
1. 声の機能
1.1.声の生成
1.2.声と個人
2. 知覚と調音の関係
2.1. ことばを監視する脳内システム
2.2. 聞く・話す神経ネットワークの独立性
2.3. 自分自身の声を聞くこと
3. 理解される外国語音声を生み出す
3.1. 音声学習の臨界期
3.2.目標とする発音
4. 調音と音韻の学習
4.1. 正確な発音の意味
4.2. 音声識別と調音の技術
4.3. 聴覚訓練を発音練習よりも先行させる
4.4. 自律した音声の獲得
5、音韻解読と正しさを導くモニター
6.期待される言語表出の研究
第3章 聴覚,視覚,触覚信号の融合
はじめに
1.視覚の位置付け
1.1.視覚とはなにか
1.2. 視覚の一方向性
2. 顔の音声情報
2.1.口の動きを見る
2.2. 赤ちゃんの視線
2.3.外国人訛りの視覚特性
3.間違いのない確実な信号
3.1.多感覚に働きかけるコミュニケーション
3.2. 聴覚器官と加齢
4.音の情景
5.触れることで視る
5.1.触覚とはなにか
5.2.指で読む
6. 概念と心的表象
6.1. 概念とはなにか
6.2. 概念の主要理論
6.2.1. 古典理論
6.2.2. プロトタイプ理論
6.2.3. 理論理論
6.2.4. 新古典派理論
6.2.5.原子論
6.3. 概念の記憶基盤
6.3.1. 暗黙知と表象
6.3.2. 形式知と表象
6.4. 概念の投射と入力・出力信号
第4章 英語音素の記述と学習上の諸課題
はじめに
1母音
1.1. 母音・子音とはなにか
1.2. フォルマント
1.3. 音素の識別能力獲得に向けた病理学的アプローチ
1.3.1. 聴覚入力アプローチ
1.3.2. 言語学的アプローチ
1.3.3. 感覚運動アプローチ
1.4. コンピューターを用いた自主学習
1.5. 英語母音の発音
2. 子音
2.1. 英語子音の発音
2.2. 学習上の困難性
2.2.1. 摩擦音と破擦音
2.2.2.接近音
2.2.3. 有声音と無声音の混乱
2.2.4. 接近音の脱落
2.2.5. |s|の脱落
3. 母語同一化音声処理
3.1. 音素レベル
3.2. 音節レベル
3.3. 単語や句・文レベルと呼吸法
3.4. 「日本人英語」からの脱却
第5章 音声習得と外国語学習・
はじめに
1. 外国語音声学習の原理
1.1.学習の促進
1.2. 知覚と表出の学習
1.3.言語間の包含関係
2. 聴解技能
2.1. 聴解のプロセス
2.2. 音声素材の音質録音と再生のための留意点一
2.2.1. 入門期から初級段階
2.2.2. 中級段階以降
2.3. 音声素材の速度
2.3.1. 再生速度の上昇(早回し)
2.3.2.低速再生(スロー再生)
3. コミュニケーションと聴解・発話
3.1. 音声の検出
3.2. 音声の識別
3.3. 音声の同定
3.4. 音読
3.5. 自由発話
4. 円滑な音声処理とチャンク
4.1. チャンク処理とはなにか
4.2. 感覚器官への入力刺激
4.2.1. 頻度
4.2.2.円滑さの特徴
4.3. 「母語話者のような流暢さ」と「母語話者同様の表現選択」
4.4. チャンクによる学習
4.5. 音声学習への提案
4.5.1.9歳まで
4.5.2.10歳から15歳ぐらいまで
4.5.3.16歳以上
4.6.音声学習の実現可能性
参考文献
あとがき
索引