流暢さを捨てて中身で勝負!
本書は、日本人が惑わされている思い込みや誤解、俗説などに対して、実際の状況を紹介している本です。様々な俗説を一つずつ紹介し、真相を明らかにしていく形式となっています。日本人の英語にまつわる俗説から勉強法の俗説、英語ツールの俗説、使える英語の俗説など幅広い英語にまつわる俗説を取り上げています。
また、英語の具体的な勉強法、また心構えや考え方について述べられています。目標に対して何をどれほど勉強すべきか、自分の中での基準を考えるきっかけになるでしょう。漠然と英語ができるようになりたいと考えている方や英語力が伸び悩んでいる方にはぜひ読んでいただきたい1冊です。
はじめに
「なんとなく必要そう」だから、続かない
今、日本ではたくさんの人が英語を学んでいる。 私はこれまでに英語学習者のための本を何冊も執筆し、かつ、日本人が英語を学ぶ様子を幾度となく見てきた。 そこでつくづく感じるのが、日本の人々が「英語」や、その「勉強法」について、さまざまな思い込みや誤解、 妄想、俗説などに惑わされていることだ。そして、それらに縛られ、苦しみながら英語を学んでいる人が少なくない。
「これはとても悲しいことである。そんな呪縛を解いて、もっと楽しく英語を学んでほしい。そう思って執筆した のが本書だ。
そもそも、今の日本の社会を見ると、「英語を学んでおいたほうがいい」と思い込んでいる人が数多く存在している。
では、なぜそう思うのか? グローバル化で、英語が使えないと職を失いかねないから? それが実際に目の前に差し迫っていると確信したら、その人はすでに真剣に英語を勉強しはじめていることだろう。
ただし、その立場に置かれている人は、今の日本ではごく少数派。大半は、そこまで切羽詰まっていないと思う。 「英語が必要」というわりに、実際の社会では英語を求められる機会はほとんどないのだから。 では、なぜ「英語を学んでおいたほうがいい」と思う人が多いのか。
それは、私が思うに、「なんとなく必要そう」という空気が社会に充満しているからではないだろうか。 そして、「なんとなく」が厄介なのは、この意識のまま勉強している限り、習得へと自分を駆り立てるモチベー ションはまったく働かない点だ。だから、勉強が長続きしない。いつも中途半端で、本人はなかなか「英語を使え るようになった」という実感がもてないのだ。
この状態を脱したいと思うのならば、自分が何のために英語を学ぶのかを具体的にすることだ。たとえば、「仕 事で英語のメールをすらすら書けるようになりたい」「海外にひとり旅に出たいので、必要最低限の英語を身につ けたい」などだ。
こうなると、あなたにとって英語学習は「なんとなく」ではなくなる。解決したい問題や、達成したい目標が目 の前に出現し、「必要だから」というスタンスに変わる。そうなれば、英語へのモチベーションはグッと高まり、 英語の勉強にも身が入ることだろう。
語学習得のコツは、ゆっくり確実に
日本人に限らず、世界中の人にとって、英語はかならずしも使えなければいけないものではない。しかし、使え れば非常に便利なことも事実だ。世界中の人々とコミュニケーションがとりやすくなるし、集められる情報の範囲 も日本語だけの場合よりはるかに広がる。
ただし、誤解してはいけないのは、「完璧な」な英語を目指す必要はないということ。「そこそこ」「まあまあ」 のレベルでだって、世界と十分にコミュニケーションをとっていける。
日本人の中には、英語の習得を「登山」や「乗り越えるべき壁」とたとえる人がいるが、私はそのどちらでもな いと思う。 私の考えでは、英語を含めた外国語を習得するというのは、長く、そしてゆるやかな「道」。彼方にはゴールが見える。もちろん、そのゴールは、各人で異なる。そして、自分が自ら設定したゴールに向けて、ゆっくりと確実 に歩みを進めていく――。 それが語学を身につけていくプロセスなのである。私はそう思う。
この本では、世の中に蔓延する英語への誤解を払拭すると同時に、使える英語を身につけるための方法を紹介し ていく。もちろん、すべてを実践する必要はない。自分のゴールに至る道において、役立ちそうなものを選んで実 践していってほしい。 「それらの方法を、毎日、一つひとつ実行していけば、きっとあなたは目的地に到達できるだろう。その一歩を踏 み出すきっかけに、この本がなれば幸いである。
2013年10月
ジェームス・M・バーダマン
目次
『日本人の英語勉強法』 もくじ
はじめに
PARTⅠ 「日本人の英語」の俗説
01俗説 グローバル化で、すべての日本人に英語習得は必須である
真相 本当に英語が必要なのは、人口の1割弱
02 俗説 日本人は英語が不得意である
真相 言葉はコミュニケーションのツール。得意も不得意もない
03 俗説 日本人は、学校で何年も英語を勉強したのに使えない
真相 日本人は、学校でほとんど英語を勉強していない
04 俗説 – 日本人は「話す・聞く」は苦手だが、「読む・書く」は得意
真相 日本人の「話す・聞く・読む・書く」力は年々低下している
PARTII 「英語勉強法」の俗説
05 俗説 – 英語は「勉強」である
真相 – 英語は「使うもの」である
06俗説 ネイティブは100語で話している
真相 基本の2000語をマスターせよ
07俗説「単語」を覚えれば、英語はなんとかなる
真相「単語の組み合わせ」を覚えてこそ、実践に役立つ
08俗説 英語は暗記である
真相「自分に必要な言葉」を暗記してこそ、意味がある
09 俗説「文法」を学ぶのは意味がない
真相「文法」は、外国語習得の最強ツールである
10俗説 聞き流すだけで、リスニング力が身につく
真相 聞き流すだけでは、100%聞き取れるまで一生かかる
11俗説 リーディングでは、辞書を引かない
真相 途中は引かない。しかし、読み終わったら引く
12 俗説「発音」の勉強はほどほどでよい
真相 「発音」がきれいなほど、コミュニケーションが楽になる
13 俗説 英語はネイティブに習わないと意味がない
真相 アマチュアのネイティブ講師なら、プロの非ネイティブ講師に習った方がいい
14 俗説 マン・ツー・マンのレッスンを受ければ、かならず伸びる
真相「受け身」での受講は、お金と時間の無駄である
15 俗説 英語圏に留学すれば、英語がペラペラになる
真相 貪欲に学ぶ気持ちがなければ、何年暮らしても成長なし
16 俗説-0代からでは、英語の習得は難しい
真相 語学の習得は「Young is better.」ではない!
PART III 「英語ツール」の俗説
17俗説「英字新聞&雑誌」で読む力が鍛えられる
真相 自分のレベルに合ったものでなければ、苦痛になるだけ
18 俗説「ニュース」は、優れたリスニング教材である
真相 チンプンカンプンのまま聞いても、身にはならない
19 俗説「映画」は、日常会話を学ぶチャンスである
真相「映画」は、文化を学ぶチャンスである
20俗説「洋楽」も勉強のツールになる
真相「洋楽」の英語は日常会話では使えないものばかり!
21俗説 SNSやYoutubeなどで、生きた英語に触れる
真相 玉石混交の英語なので、使い方には要注意!
PART IV 「使える英語」の俗説
22俗説 目指すゴールは、流暢に話せること
真相 流暢さよりも、「中身」を重視せよ
23俗説 英語力がないから話せない
真相 英語力があっても、日本語での知識が不足していると話せない
24 俗説 英語のコミュニケーションでは、相手の目をしっかり見ることが大事である
真相 じっと見るのは、かえって相手に威圧感を与えてしまう
25俗説 中学英語でも、社内英語公用語化に対応できる
真相 ビジネスでは中学英語は通用しない
26俗説 TOEICのスコアは、「英語が使える」の目安である
真相TOEICのための勉強では、英語の「ペーパードライバー」になるだけ
27俗説 英語は、小学生のうちから徹底的に学ばせたほうがいい
真相 日本人として育てるなら、日本語の基礎づくりが先!
おわりに
参考文献
付録 英語の勉強をもっと充実させるためのブックガイド
本文デザイン : 斎藤啓一 (panix)
PART I
「日本人の英語」の俗説
01俗說 グローバル化で、すべての日本人に 英語習得は必須である
真相 本当に英語が必要なのは、 人口の1割弱
「英語が使える」のレベルはさまざま
「食いっぱぐれないためには、英語が使えるようにならなければいけない」
今、こうした強迫観念を持つ日本人は少なくないようだ。しかし、すべての日本人にとって英語が使えることは 必須なのだろうか。
私の答えは「NO」だ。
ここで冷静に考えてもらいたいのが、「英語が使える」とはどういうことかということだ。「使える」には、じつ にさまざまなレベルがある。
母語の日本語と同じ程度に英語が操れるという「使える」もあれば、自分の仕事に特化すれば英語でのコミュニ ケーションは可能だが、日常会話となるとまったく歯が立たないという「使える」もある。 仕事でも、メールなどの「読む・書く」はOKだが、「話す・聞く」となると苦労するという「使える」もある。 毎日の生活でまったく英語を使わないが、海外旅行ではなんとか英語でやりとりができるという「使える」もある。
どれもすべて「使える」だ。私は英語がまったく使えない」と言う人がよくいるが、じつはそんなことはない。 それぞれのレベルで使えているのだ。そこにまず気づいてほしい。
9割の人は必要な範囲で英語を使えればいい
「英語が使えるようにならなければいけない」と言ったとき、日本人の多くがイメージするのは、英語を日本語並 みに操れる「使える」のような気がしてならない。いわゆる「ペラペラ」というレベルだ。しかし、日本で生まれ 育った人がそのレベルになろうと思ったら、相当な努力が必要だ(それについては、次項で述べる)。
そして、実際にそのレベルの英語力が求められる日本人は、全体の1割にも満たないのではないだろうか。1割 とはつまりビジネスにおいて高度な判断が求められるポジションや、専門性が求められる分野に籍を置き、海外と のやりとりを日常的に行なっている人たちや、通訳者や翻訳者などの英語のエキスパートたちだ。
残りの9割の人たちは、そのレベルを目指す必要はない。にもかかわらず、多くの人たちが、このレベルの英語 力を自分も習得する必要があると思い込み、なかなかそのレベルに達することができないために、「自分は英語が 使えない」と劣等感を持ってしまっている。私にはそう思えてならない。
しかし、くり返すが、日本人全員がそのレベルになる必要はないのだ。 _9割の人たちは、自分にとって必要なレベルを見極め、その範囲で英語が使えるようになればいい。「ペラペラ にならなければ」と、不必要なプレッシャーを自分にかけて、無駄に頑張る必要はないのだ。