第二言語習得の研究について解説した本
本書は、第二言語習得の研究について解説した本です。第二言語習得研究は、外国語をマスターする過程を研究しているもので、本書では、その最近の内容を紹介しています。まず、日本人が英語下手である理由を示し、そこから外国語学習に成功する人としない人の違いを解説しています。最後には、効果的な学習法の紹介もしています。
「シャドーイング」は、外国語習得における重要な4つの要素を踏まえた上で効果的な学習法です。本書を用いて理論を理解し、実践していくことでスピーキング力が確実にアップするでしょう。
目次
プロローグ
1 日本人はなぜ英語が下手なのか――その1 動機づけ
2 日本人はなぜ英語が下手なのか――その2 母語の影響
3 外国語学習に成功する人、しない人
4 外国語が身につくとはどういうことか
5 どんな学習法なら効果があがるのか
付録 知っておきたい外国語学習のコッ
おわりに
参考文献
プロローグ
外国語学習に王道はあるか
外国語をマスターする、ということは容易ではありません。私たち日本人は、中学、高校、大学と一〇年 以上、しかもその間かなりの時間と労力を費やして英語を学びますが、まともに使えるようになるケースは 稀です。巷には英語学習教材があふれ、どれを手にとっても、似たりよったり。そうかと思えば、「英語は 勉強してはいけない」とか、「一日一○分聞き流すだけでペラペラになる」といったような、奇をてらった 教材やノウハウ本が、爆発的に売れたりします。いったい、何を信用すればよいのでしょうか。効果的な外 国語学習法というのはあるのでしょうか? また、あるとすれば、それはどのようなものでしょうか?
日本でも、英語を使える日本人の育成が問題となっていますが、アメリカでは、二〇〇一年九月一一日の 航空機同時多発テロ事件を境に、政府が外国語学習の問題をより真剣に考えるようになりました。なぜテロ 攻撃を防げなかったのか。これにはさまざまな理由があげられましたが、その一つにアメリカ人の外国語能 力の低さがありました。
英語が国際語であるためか、アメリカ人は外国語があまりできないといわれています。そのせいで、テロリストたちが使っていた言語(アラビア語など)を解読できる人材が不足していたことが、諜報活動の妨げにな った、という発想です。高い外国語能力をもった人材を育成するにはどうすればよいか。これは9.1 同 時多発テロ後のアメリカにとっては死活問題であり、そのような研究に多大な補助金が出るようになりました。
社会における現実的な問題を解決しようとすれば、当然ながら、その問題についての専門家の意見を参考 にすることになります。外国語学習については、伝統的には言語学、心理学の専門家がそのような役割を担 ってきましたが、どちらの分野にとっても、外国語の学習というのは周辺的な問題で、それほど真剣に研究が行われているわけではありません。また、外国語の学習というのはかなり複雑な要素が絡み合っているため、言語学、心理学の周辺分野として研究されているだけでは、十分にそのメカニズムの解明は進まないのです。
このような学問的な背景、そして外国語学習を効率よく行いたいという社会的要請を背景に、「外国語学 習」という現象そのものを対象とした学問分野が一九六〇年代ごろから発達してきました。これが、「第二 言語習得(Second Language Acquisition=SLA)」という新たな研究分野です。
第二言語習得研究とは何か
子どもの母語習得(第一言語習得)と大人の外国語習得(第二言語習得)の大きな違いは、母語習得はほとんど 例外なく成功に終わるのに、外国語習得は、母語話者のレベルまで到達できるかという観点からは、ほとん ど例外なく失敗に終わる、ということです。これはなぜでしょうか。
外国語は母語に比べて使う機会が少ないからだ、という考え方もできますが、それでは、なぜ何十年もア メリカに住んで、アメリカ人と結婚し、アメリカ社会に溶け込んで英語を話して生活している移民の英語が ネイティブのようにならないのか、という現象を説明できません。外国語学習のメカニズムを理解しなけれ ば、このような素朴な疑問に対する答えさえ出てこないのです。第二言語習得研究とは、このような、第二 言語学習に関するさまざまな疑問を科学的に解明することを目指す学問分野だといえます。
子どもの母語習得は、第二言語習得に比べれば、ほとんど誰にとっても同じような、均質な状況でおこり ます。子どもはふつう、家族や近所の人などからことばを語りかけられ、それに対応して次第にことばを獲 得していきます。このような例から外れる場合はあまりないのです。
一方、第二言語習得は、さまざまな状況でおこります。英語の習得を例にとってみると、韓国人の高校生 が学校で英語を学ぶ場合と、メジャーリーガーとしてアメリカに渡った松井秀喜がヤンキースの一員として 英語を学ぶ場合と、メキシコからの四〇歳の移民が肉体労働をしながらアメリカで英語を習得する場合とでは、条件がまったく異なるということは明らかです。
まず、学習の対象となる言語と学習者の母語との関係が、英語と韓国語、英語と日本語、英語とスペイン 語という具合に違います。次に外的条件、つまり学習者の置かれた環境がまったく異なります。そして、学 習者の年齢、適性、やる気といった内的条件もまったく違います。さらに、この外的条件と内的条件は複雑 に相互作用をおこします。つまり、外的条件が変われば、やる気も変わってくるし、やる気が変わってくる と、自分から積極的に環境に働きかけたり(またその逆に消極的になったり)して、外的環境も変わってきます。
このように、子どもの母語習得に比べると、第二言語習得はさまざまな状況が圧倒的に複雑です。 このような複雑な現象を理解するためには、さまざまなアプローチが必要となってきます。まず、「言語」という複雑なシステムの習得を対象とするため、言語学からの知見が役に立ちます。次に、「学習」と いう心的活動を扱うので、心理学的なアプローチも必要です。さらに、言語と社会・文化は密接な関係にあ るので、社会学、文化人類学なども重要な示唆を与えてくれます。また学習はいうまでもなく脳でおこるの で、脳科学の観点からアプローチする研究者もいます。簡単にいえば、第二言語の習得・使用という認知活 動を学際的に研究するのが「第二言語習得」という学問分野といえるでしょう。
本書は、過去四〇年くらいのあいだに第二言語習得研究が明らかにしたことを、なるべくわかりやすく伝 えることを目標とします。もちろんまだわかっていないことのほうが多いのは、他の隣接分野(たとえば心理 学、言語学など)と同じですが、扱っている対象がかなり複雑なため、わかっていないことがとりわけたくさんあります。それでも、過去四〇年にわたる研究の結果、さまざまなことが明らかになってきていて、そこから、外国語学習はどのようにすればより効果的か、またどのような学習者が外国語学習に成功するかとい った、より現実的な問題に対しても、ある程度の答えが出せるまでになってきているのです。
経験至上主義から科学的アプローチへ
読者のみなさんは、中学、高校の英語の授業で、「音読」というのをやらされた経験はありませんか。典型的な手順は、次のようなものでしょう。まず先生が「はい、じゃ田中君、次の段落読んでください」など と言ってひとりの生徒をあてる。生徒はギギーッという椅子の音を立てながら起立し、つっかえながらも、 なんとか読む。次に、先生(もしくはテープレコーダー)のあとについて、全員で音読。その後で、先生が、本 文の内容を解説したり、生徒に訳させたりする。
この音読の方法は効果があるのでしょうか? 英語教師はなぜこの方法をとるのでしょう。多くの場合、 自分が英語を教わったときにそうやっていたから、という理由ではないでしょうか。しかし、この方法が効 果的である、という証拠はどこにもありません。なぜ、生徒が本文の内容を理解する前に音読するのでしょ う。それにはどんな効果が考えられるのでしょうか。もし、音読を内容理解の後にしたらどうなるのでしょ う。これらはすべて、検証可能な問題であり、また検証されるべき問題です。これが、第二言語習得研究の 考え方です。つまり、経験至上主義にとどまらず、より実証的、科学的に、より効果的な第二言語学習法を 考えていくのです。
外国語学習と外国語教育は表裏一体の関係にあります。学習者がどう学習するかは、教師がどう教えるか によって、大きく変わってきます。もちろん、学習者が自分で決められる部分もありますが、学習方法は教 師が決める部分が大きい。本書の読者は、すでに高校や大学を終えて、かなり自律的に学習している人が多 いでしょう。自律的な学習の際にも、やはり手さぐりの状態で、これをやったらよさそうだ、とか、この方法でやったらかなり力がついた(ような気がした)ので今回もこれでやる、という感じで学習法を決めているの が実状ではないでしょうか。
学習者の側も、教師の側も、科学的な研究成果にもとづいて、言語学習、言語 教育の方法をより効果的なものに高めていく必要があるのはいうまでもないのですが、現状ではなかなかそ うはいきません。 似たような例としてスポーツ科学をとりあげてみましょう。 筆者は昔、中学・高校でバスケットボール部に所属していましたが、そのころは、「腹筋運動をするときに膝を曲げてはいけない」と教えられていました。
つまり、膝を曲げて腹筋運動をすると、腹筋に負担がか からないから簡単にできてしまって腹筋が鍛えられない、というのです。ところが、その一○年後、体育の先生に聞いた話では、腹筋運動をするときに膝を曲げないでやると、腰に負担がかかって腰を痛める危険が あるので、腹筋運動をするときは膝を曲げたほうがいい、というのです。そして、このようなことはいわゆ るスポーツ科学では当たり前の常識になっていたそうです。つまり、経験でやってきたからといって、また それがある状況においてうまくいったからといって、必ずしもそれが正しいものではないということです。
このように、かつては経験則に頼ってスポーツトレーニングをしていたけれども、今ではスポーツ科学が どんどん発展して、それにもとづいてさまざまな技術革新がなされています。たとえば、イメージトレーニ ングという技法があります。ちょっと前まではそんなことは全然考えもしませんでしたが、今では、一流ス ポーツ選手は、大会までの練習のあいだ、自分が勝つところをつねにイメージしているということです。こ れを第二言語習得に応用すると、自分がネイティブとうまくしゃべっているところを想像するとか、そんな テクニックが実際に使えるかどうかわかりませんが、可能性としては考えられます。
実はこの話は、本書の第1章のトピックである「動機づけ」の問題とも絡んでくるのです。自分がネイテ ィブのようになりたいかどうか、ネイティブのように話したいという欲求があるかどうか、あるいはネイテ ィブとまったく同じように話すことはできないにしても、流暢に話すノンネイティブを一種のロールモデル とみなして、その人のように話したいという欲求があるかどうか、またそういう欲求がどれほど強いか、と いうことが、その学習者がその外国語をどの程度正しく身につけられるかということにかなり影響してくる だろうと推測されますし、実際にそういう研究結果も報告されています。
こうしたことを背景に、英語ネイティブと対等にきれいな英語でしゃべっている自分を学習者がイメージ して勉強することが学習効果を促進する、という仮説を立てる。そして、これを検証するのが、第二言語習 得研究なのです。こんな実験は誰もやったことがないので、どういう結果が出るかはわかりませんが、でき ないことはありません。たとえば、グループA(実験群)とグループB(統制群)のうち、グループAだけにそれを毎日イメージトレーニングさせたらどっちが伸びたかとか、冗談みたいに思われるかもしれませんが、こういった実験をやってみることは可能です。
このような多くの実証的研究にもとづいて、第二言語習得研究という分野では、第二言語学習の原理がある程度明らかになってきています。そういう原理をふまえた第二言語教育・学習方法というものを今後は考 えていかなければなりません。本書では、第二言語習得の研究成果をわかりやすくコンパクトにまとめて紹 介するつもりです。現在外国語を学習している方や、今は外国語学習をしていないが自分の過去の外国語学 習について振り返ってみたい、という方には学習者の立場から、また外国語を教えている先生方や、外国語 教育に携わりたいという希望をもっている読者の方などには教師の立場から、本書に興味をもっていただけると思います。
本書の構成は以下のようになっています。まず、第1章と第2章で、日本人はなぜ英語が下手なのか、という問題に答えます。第1章では学習動機の弱さ、第2章では日本語と英語の距離、という要因をとりあげて、日本人の英語下手をそれぞれ説明します。第3章では、外国語学習にどんな学習者が成功するか、年 齢、性格、適性など、いくつかの要因についてその影響を論じます。第4章では、第二言語習得がおこるメ カニズムについて、これまでにわかっていることを説明します。第5章では、効果的な教授法・学習法の問 題を、第二言語習得研究の歴史をたどりながら検討します。最後に、付録として、今までの研究成果から、外国語学習のときに気をつけるべきことをまとめてみました。
それでは、第二言語習得研究の世界へ、ようこそ。