富田の英文読解100の原則 上 (新装版)

30万人の受験生を救った名著再び(上)

先が見えない無限に続く暗記学習が原因で、英語学習が苦手だと感じる人がいるかもしれません。本書は、暗記学習ではなくやった分だけ成果が出せるような学習方法を紹介しています。単語はしっかり覚えているのに、英語の文章を読むのが苦手な人におすすめな本です。

新版へのはじめに

本書が出版されてからすでに15年が経過し、この原稿を執筆中に3時間ごとに乳を求めて泣いていた息子は今や高校一年生も終わろうかというところで、乳を求めて泣いたなんて別の星の話じゃないの、と言わんばかりの涼しい顔で今日も私の前を素通りしていく。

15年と一口に言うが、それは短いようでいてかなり長い期間だといえる。15年前の息子と今の息子の共通点と言えば名前だけ。とても同じ人間とは思えないほど大きく変わってしまった。実際、人間の細胞は(脳細胞を除いて)8年程度ですべて入れ替わるのだそうで、それを考えただけでも15年前の彼と今の彼はまさに別人である。

一方、英語に関してはともかく、私が息子に15年かけて教え込むことに成功した日本語はたった二言だけ。「金くれ」と「腹減った」である。親としてこれほど情けない話もない。そう考えると15年は長いようでいて、実は何も変える力を持たないほどに短い期間ということもできよう。

本書が出版されてから15年、私は細々と予備校講師を続けてきた。その間、英語教育については理念のよく分からない方針転換が何度かなされてきたが、偉い人たちがいくら議論を尽くそうが方針を転換しようが、英語が英語であることに変わりはない。現代英語の基礎が確立されたと考えられるエリザベス朝以来、英語の根幹部分はかれこれ400年というもの、ほとんど変わっていないのだ。たかだか15年では、ほんの末節の部分に多少の変化はあるものの、何も変わるはずもない道理である。だから、と言うとかなり我田引水に聞こえるが、書いてから15年経った今になって再び本書を読み返してみても、その基本部分には特に修正や変更を必要とする部分は見当たらない、というのが著者の正直な感想である。もちろん私自身、時とともに変化しているから、今だったら違う表現をするだろうな、と思う部分もなくはないが、それはあくまで表現の問題であって、内容の核心部分は当時も今も不変である、ということは確信をもって言える。

手前味噌、という誹りを恐れずに言うならば、基本部分が常に一定で「ぶれない」のが私の一つの信条である。英文を読むときも、文ごとにやり方を変えるというような無節操なことはせず、どの文に対しても全く同じアプローチをかける。だから、常に一定のパフォーマンスが得られる。得られた結果の正しさに一定以上の信頼が置けるからこそ、それに基づいて臨機応変に考えていくことが可能になるのだ。

だから、個人的には本書の内容を変える必要性は現在でも全く感じていない。だが、それでもやはり時代は変わる。15年前には、ほとんど原稿を打ったままのっぺりと印刷しただけでも本として通用した出版の世界は、この15年で大きく様変わりし、実に多彩なレイアウトが容易にかつ安価に可能になった。そして人間というのはわがままなもので、技術がない頃には素のままでも受け入れられたものでも、ひとたびいろいろな技が使えるようになると、そうでないものをそのまま受け入れるのは難しくなるのだ。
そんな事情もあり、最近になって本書のレイアウトにもっと工夫ができないかと思い始めていたところに、出版元から新版の話が舞い込んできたので、これ幸いとばかりに装いを変えたのが今回の改訂の趣旨である。内容的にはほんの何箇所かに手を加えただけであるが、見やすさという点では格段に改善されたと思う。今後も本書の照らし出す英語のあり方を参考に、より自立した英語学習をより多くの人が獲得していくことを願ってやまない。

2009年2月

富田 一彦 (著)
出版社: 大和書房; 新版 (2009/4/11)、出典:出版社HP

はじめに

英語は暗記科目だ,語彙や表現をできるだけ覚え、後はひたすら反復して慣れと勘を養うのだとよく言われる。さらに,個々の文はよく分からなくても全体が「なんとなく分かればよい」などとも言う。それによって問題の解答はやはり「なんとなく」分かるものであり,それが分からない学生は「勘が悪い」「頭が悪い」ということになる。このような考え方は,今では英語学習の「正しい方法論」として広く信仰されているほどである。

冗談ではない。我々はダービーの勝ち馬を予想しているわけではないのだ。「なんとなく」「勘で」などという曖昧なものに諸君は自分の人生を託せるのか。そんな当てにならないもののために自分の人生の貴重な時間を賭けるなど私はまっぴらである。だいたいわけも分からず何かをひたすら覚え込むなどという不毛な作業に向くように我々人間は創られていないのだ。そういうことができると思いこむのはつまらぬ根性主義に過ぎない。戦争中にゼロ戦のエンジンの出力が期待通りにならないことに腹を立てたある陸軍の軍人が技術者に向かって「エンジンの出力が上がらないのはおまえらの根性が足らないからだ」と言ったという有名な逸話があるが,こと教育に関する限り,我々の発想はこの軍人の愚かさから離脱できていない。いくら反復してもできるようにならない学生には「努力が足りない」,反復することに耐えられない学生には「やる気がない」という罵声が浴びせられるのは実はそのような誤った根性主義の故である。

私はそのような非科学的な根性主義が大嫌いである。英語は「なんとなく」「勘で」分かるものなどではない。誰にでも完全に,正しく理解できるものである。もちろん、そのためにはただ覚えるという安易で怠惰な勉強方法をやめ,英文の成り立ちを科学的、原理的に追究して自分で理解,納得していくという作業が不可欠であり,そこでの手抜きは許されない。はじめに断っておくが、別に私は諸君に「楽して合格する方法」を教えようなどとは全然思っていない。私はただ、いくらやっても報われるかどうか分からない「暗記主義」から諸君を解放し、諸君のかけた労力に見合うだけの成果を期待できる方法を伝授したいと望んでいるだけである。諸君の中にはいくらやってもできるようにならない反動から,何もしなくても答えだけ分かる魔術的な方法にすがろうとする人がいるが、「選択肢の答えはウが多い」だの「要約は最初の文と最後の文を訳してつなげればよい」だのという「方法論」は所詮すべてインチキであって,私はそういう詐欺師の仲間入りをするつもりはない。

私がこの本で語るのは、諸君の間で流行っている分類によれば「精読」である。一つ一つの文に徹底的にこだわってその文法的な成り立ちを解剖し,そこから絶対に迷いのない正しい意味を導くこと,その作業を通じて諸君がこれから入試で出会うであろう英文を自力で読み解けるようにすること,これが本書の目標である。であるから,諸君は私の説明にしたがって、手抜きをせず,一つ一つの事項を自分で納得がいくまで考え抜いてもらいたい。自分の頭を使って理解に努める限り,この作業は退屈ではありえない。むしろ諸君にとって大いに刺激的であるはずだ。

行間は白紙

もちろん諸君にそれだけのことを求める以上、私は説明が曖昧になりないように努める義務がある。よく、英文の解説中に「前後関係から」「文脈によって」などという語句を見かけるが,こういう説明にならない説明はいっさいするつもりはない。「前後関係」「文脈」などという説明はまやかしである。そういう説明を読んで分かった気になっていた人はそのような姿勢を反省してほしい。だいたい、学生という人種は「ありがたそうだが実は無意味な言葉」に弱い。「行間を読め」などと言われると諸君は水戸黄門の印籠を見せられた悪代官よろしく平伏してしまうのだが,そういう人には「目を覚ませ」と言いたい。水戸黄門がただのおいぼれであるのと同じく、行間は白紙である。確かに,実人生においては、例えば女の子が「いや,ダメよ」という真意はどこにあるのかを理解するとき,我々は幾重にも行間を読まねばならないだろうが,大学入試などという基礎的なことがらにそのような高等戦術は全く不必要である。

おしろ諸君に求められるのは、目に見える語句の配列に対して,常に「なぜ」を考えることである。英語は論理的な言語だから,語句の配列には必ずなんらかの理由がある。その理由を文法的に解明していけば意味は自ずから明らかになるのだ。つまり、私の説明の中心は文法的なものとなる。多くの諸君は文法を嫌うが,それは文法を「役に立たない知識」だと思いこんでいるせいである。いくら覚えても使えないから諸君は文法を毛嫌いしているに過ぎない。本書の説明を通じて文法は読解に不可欠な「使える」知識だと分かってもらいたい。

読み方は一つ

もう一つ、諸君の誤解を指摘しておきたい。それは「精読」「速読」という分類である。受験雑誌などによれば「一つ一つの文を正しく理解していく」のが精読で,「速く読んで全体の内容を理解する」のが速読なのだそうだが,私に言わせればこのような分類は無意味である。だいたい、一つ一つの語彙・文意が分からないのに全体の内容だけ分かってしまうなどという不思議なことはあるはずがない。文それぞれの意味を正確に読解し、それを積み上げて全体を理解する以外に正しい読解の方法などありようがないのである。未知の単語の意味を推理する方法は確かにあるが、それはあくまでも文法的な根拠を正しく積み上げて導くものであって、前後を読んでいくとなんとなく分かるものではないのだ。個々の部分が分からないのに全体の意味が分かってしまうなどという甘い幻想は、早く忘れるに越したことはない。

おそらく、諸君が「速読」にあこがれる一つの原因は、試験時間が足りないという強迫観念に基づくものだろう。一つ一つの文を律儀に読んでいったのでは、とても試験時間内に解答することはできない,という思い込みである。このような間違った思い込みは、英語の基本をしっかり勉強した経験のない学生に,多く見られるものである。実際の入試問題は、正確に読んだ者だけが正しい解答を迷わずに得られるように作られている。正確に読んでいない者,文法的な理解があやふやな学生はいくつか並んでいる選択肢の二つ以上が正しいものに見えて迷ってしまうのである。実は諸君の試験時間が足りなくなる最大の元凶は,この「迷っている時間」である。これは,問題に解答する場合だけではない。

文意をとる場合でも、曖昧な理解しかしていない学生はあれこれと迷い、その結果貴重な時間をどんどん無駄にしているのだ。
結論的に言えば、正確に読む訓練,いわゆる精読を積み上げていけば、自然に読む速度,解答する速度は上がっていくものであって,理解が曖味なまま安易に速読に走ったりすれば,またぞろ「いくらやってもできるようにならない」という無間地獄に陥ることになる。であるから,英語の読解を勉強する者は,たとえ入試の前日であろうと「精読」に努めるべきなのである。

とはいえ,「精読」を始めたばかりの未熟な学生が、どうしても読解に時間がかかるのは仕方のないことである。不慣れなうちは一つ一つの判断にどうしても時間がかかり,その結果,一つの文章を読むのに2時間かかったりする場合もある。それが諸君の不安を駆り立てることは承知だが,それでもあえて「2時間かかるものは2時間かけなさい」と私は言いたい。

英語の読解は自動車の運転によく似ている。一度も運転をしたことのない者に、いきなり高速道路を走れと言ったらまず大事故間違いなしである。だから、教習所で初めて車を走らせるときは、まるでカタツムリのごときスピードで練習することになる。はたから教習所の車をいると、何であんなばかばかしいことをするのだろう、あれなら歩いた方がましだ,と憎まれ口の一つも言いたくなる。けれども、そのようにゆっくりとした速度で正確な操作を練習することが、高速道路で安全に車を走らせる第一歩なのである。実は、免許をとって高速道路を走る時も、最初にカタツムリのように走らせたのと全く操作は同じである。別に速度が速いからといってやることが変わるわけではない。ただ、それでも事故を起こさずに走ることができるのはゆっくりとした状況で正しい操作を繰り返してきた練習の成果なのである。英語の読解でも同じこと、正しい読解法を知らない者が「速読」などしたら大事故間違いなしである。だが、ゆっくりと時間をかけて正確な読解法を身につけていけば、自然と読む速度も上がり、いつのまにか高速で読解できるようになるのだ。要は、基本を身につけるのに時間を惜しんではいけないのである。

言葉と正面から向き合おう

ここまで読んでもらえば、私がこれから英語について語る基本的な態度は理解できたことと思う。私は本書の中で、いかに英文と逃げずにつき合うか、そのために文法をどう利用したらいいかを語っていくつもりである。そのためには諸君にも私の提示する知的作業につき合ってもらいたい。諸君もまた私とともに、逃げず諦めず考え続けてほしい。諸君の現在の学力は問わない。ただ、真剣に英語を理解したいという意欲は大いに持っていてもらわなくてはならない。いや、むしろそういう意欲のない人は、本書を最後まで読み通すことすらできないだろう。もしそんな面倒くさいことはいやだと思うなら、この場でこの本を棚に戻し立ち去るがよい。私は自分の書いたものが、意欲のあるなしにかかわらず誰でも合格できる魔法の書であるなどとは思われたくない。そのかわり、意欲のある者は読めば必ず報われる,ということはここで保証しておこう。自分の書くものにその程度の自信さえ持てないなら、この受験参考書の氾濫している世の中にあえて駄作を一つ増やそうとは思わない。諸君はただ、分からないものを必ず解明しようという意欲と,新しいやり方をあえて受け入れる謙虚さをもってこの本とつき合うこと。そうすればこの本を読み終えた時,諸君の英語力は格段に上がっているはずだ。

1994年6月

富田 一彦 (著)
出版社: 大和書房; 新版 (2009/4/11)、出典:出版社HP

本書の使い方

本書は「英文読解法の研究」を目的としているので,実際に入試に出題された英文を素材に,その意味を正しくとる方法を研究していく。意味をとる以上当然訳出していくことになるが,かといって単なる訳し方の研究ではない。訳は結果的に出て来るものであり,本書の目的はそこにいたるプロセスを研究することにあるからである。
各文章には、検討すべき部分には下線を引き,それに関する小問がいくつかつけられている。

①諸君はその小問に対し、文法的に説明のつく解答を与えるよう心がけてほしい。
②小問にすべて解答すれば自動的に正しい訳が組み立てられるようになっているから,それに基づいて訳を組み立ててみよう。
③そこまで自力でやったら、文章の後にある解説を読む。解説では,主として小問に解答するために必要な考え方と、それを組み合わせることで意味を理解するプロセスが示される。これを読めば、ある英文に出会ってからその意味を理解するまでに、諸君の頭の中で考えるべきプロセスが明らかになるはずだ。
④また、解説の後ろには下線部を含む全訳を載せてあるので解説を読む前後に参照してほしい。
⑤その上で、理解できた文法事項を覚え(ただし,理解さえできれば覚えることはさほど多くはない),次の文章に進んでほしい。

本書で素材となる文章をあえて文法分野別に分類して載せるようなことはしなかった。考えてみれば,ある英文を読むのに接続詞の知識は必要だが関係詞はいらないとか,不定詞は使うが仮定法は関係ないなどということはほとんどない。諸君は実際に目にした英文が要求する文法事項を自在に引き出して文章を解読すべきだから,あえて「この文章のポイントは○○だ」というような予断を与えることは避けることにしたのである。

一方,基本的な文法事項の考え方は,〈読解の原則〉として本文中にまとめてある。これは,英語の文法を読解に生かせる形で整理し,説明を加えたものである。これを読めば,英語の文法が文章の中でどのような仕組みで働いているか、といういわば英文法の全体像が分かるようになっている。ただし,この〈読解の原則〉はそれぞれの文章を読むのに必要なものから順に語っているため,文法項目別に並んではいない。そこで,それぞれの項目別に知識整理ができるように,巻末に項目別に並べた一覧を再録した。

では、そろそろ始めよう。ここから始まる解説が,諸君の英語観を大きく変え,それが実力と自信となって現れてくることを切に祈る。

目次

新版へのはじめに
はじめに
本書の使い方

英文読解・序
英文読解1
英文読解1・解説
英文読解2
英文読解2・解説
英文読解3
英文読解3・解説
英文読解4
英文読解4・解説
英文読解5
英文読解5・解説
英文読解6
英文読解6・解説

読解の原則・索引
読解の原则・項目索引

富田 一彦 (著)
出版社: 大和書房; 新版 (2009/4/11)、出典:出版社HP